オーストラリニュージーランドはア、敵国だった
2014.11月28日(土)にシドニー湾にある島全体が造船所で
1944-1945年に作られたトンネルとをみた。
これは第2次世界戦争時代に、シンガポールが日本に占領されて、
造船設備の拡充と船の改修をする必要から急きょ作られたものである。
前身は1880年ごろから船の補修をする工場として利用された島である。
一般にはあまり知られていなかったが、
造船所としての活動が終えてシドニーに残る歴史的な遺産として活用
するようになった1980年ごろから市民にも開放されている。
島からは、有名なオペラ劇場や鉄橋などシドニー市内が一望でき風光
明媚な場所でもある。
その島全体が造船所に2つのトンネルがあった。
説明をみると、当時の敵国がせめて来た場合に、逃げる場所として岩で
できた島の地底にトンネルが2か所掘られていた。
地底のトンネルには空気口もあった。当時の敵国といえば日本である。
現在の日本は国連の常任理事国になりたいとして、さまざまな活動を
してきたが、国連憲章に敵国条項が残っているのを知っている人は少ない。
連合国(国連)が作られた当時の敵国といえばドイツ、イタリア、日本しかいない。
ドイツやイタリアは戦後、周辺国との関係を改善して敵国ではなくなったが、
いまだに日本はこの敵国条項の対象である。
この敵国条項をなくすには現在の常任理事国の承認がいるのである。
その一つが中国である。中国の拒否権がある限り、敵国条項をなくすことはむつかしい。
さて、オーストラリアからニュージーランドのクライストチャーチ
にはいると入国審査が2つの窓口に分かれている。
英国、米国、オーストラリアが一つ。その他の国籍が一つ窓口である。
かっての大英帝国は一つの扱いである。
同盟国の審査が簡単だとは思えないが、我々の窓口は長い行列ができていた。
2010年2月にあった、地震で市内の古い建物が多く崩れて、留学していた
日本人学生が亡くなったことは記憶に新しい。
そこで、地震からいち早く復興した教会があった。日本人の建築家の設計で、
大きな紙のパイプを組み立ててできた教会である。
神父になぜ、日本人の設計を採用されたのか,尋ねてみた。
すでに有名な設計家であったことと、この地域を復興する組織に建築家から
何か手伝えることがないか、との申し出があって、依頼したという説明である。
多くのオーストラリ人、ニュージーランド人は歴史として日本と戦ったことは
知っているが、敵国だったからということで日本人を拒否することはほとんどない。
しかし、我々、日本人はアジア、太平洋地域で戦った敵国だったという事実
を見せられるときに何をすべきか、考える必要はあるのだろう。
2014.11月28日(土)にシドニー湾にある島全体が造船所で
1944-1945年に作られたトンネルとをみた。
これは第2次世界戦争時代に、シンガポールが日本に占領されて、
造船設備の拡充と船の改修をする必要から急きょ作られたものである。
前身は1880年ごろから船の補修をする工場として利用された島である。
一般にはあまり知られていなかったが、
造船所としての活動が終えてシドニーに残る歴史的な遺産として活用
するようになった1980年ごろから市民にも開放されている。
島からは、有名なオペラ劇場や鉄橋などシドニー市内が一望でき風光
明媚な場所でもある。
その島全体が造船所に2つのトンネルがあった。
説明をみると、当時の敵国がせめて来た場合に、逃げる場所として岩で
できた島の地底にトンネルが2か所掘られていた。
地底のトンネルには空気口もあった。当時の敵国といえば日本である。
現在の日本は国連の常任理事国になりたいとして、さまざまな活動を
してきたが、国連憲章に敵国条項が残っているのを知っている人は少ない。
連合国(国連)が作られた当時の敵国といえばドイツ、イタリア、日本しかいない。
ドイツやイタリアは戦後、周辺国との関係を改善して敵国ではなくなったが、
いまだに日本はこの敵国条項の対象である。
この敵国条項をなくすには現在の常任理事国の承認がいるのである。
その一つが中国である。中国の拒否権がある限り、敵国条項をなくすことはむつかしい。
さて、オーストラリアからニュージーランドのクライストチャーチ
にはいると入国審査が2つの窓口に分かれている。
英国、米国、オーストラリアが一つ。その他の国籍が一つ窓口である。
かっての大英帝国は一つの扱いである。
同盟国の審査が簡単だとは思えないが、我々の窓口は長い行列ができていた。
2010年2月にあった、地震で市内の古い建物が多く崩れて、留学していた
日本人学生が亡くなったことは記憶に新しい。
そこで、地震からいち早く復興した教会があった。日本人の建築家の設計で、
大きな紙のパイプを組み立ててできた教会である。
神父になぜ、日本人の設計を採用されたのか,尋ねてみた。
すでに有名な設計家であったことと、この地域を復興する組織に建築家から
何か手伝えることがないか、との申し出があって、依頼したという説明である。
多くのオーストラリ人、ニュージーランド人は歴史として日本と戦ったことは
知っているが、敵国だったからということで日本人を拒否することはほとんどない。
しかし、我々、日本人はアジア、太平洋地域で戦った敵国だったという事実
を見せられるときに何をすべきか、考える必要はあるのだろう。
by tmothailand
| 2015-01-08 10:19
| その他の国