人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ミャンマーとタイの少数民族

ミャンマーとタイの少数民族
―カンチャナブリからミャンマーに入るミャンマーとタイの少数民族_b0156846_23355375.jpg

7/22-7/23は仏教の祭日が続く、タイの連休であった。
ちょうど、タイからミャンマーに続く道路の建設が進み、ダウェイ経済特区につながるプロジェクトが進んでいることから、国境付近の様子を見に出かけた。

1.戦勝記念塔から乗り合いタクシー
7/22の朝10時にBTSの戦勝記念塔駅に来ると、地方に行く乗り合いタクシー(ロットウ)は先週末からの帰省客のピークが過ぎたのか、お客が集まらない。10.20発が10.33発になった。120B。2時間半の旅。隣に座った女性に聞くと、タイ族ではなくカレン族とのこと。4年前にナコンパトム県で働いていたが、今はパトムタニ県の紙工場に勤務している。休みがあるごとに、田舎に帰るという。カンチャナブリが田舎だというとモン族だと思っていたが違った。
ミャンマーとタイの少数民族_b0156846_23381355.jpg

2.カンチャナブリから、サンカブリまで4時間
カンチャナブリの近くに来ると、外人の紳士が、戦場にかける橋が見たいので、どうすればよいか、と声をかけられた。詳しく聞くと、チェコスロバキアから来た神父と、旅行代理店の代表者。来年に数十名の視察団を送るので、今年は下見とのこと。現地を見れ場、直ちにバンコクの戻り、深夜便で本国に帰国とのこと。
残念だが、案内する時間がなく運転手に、英語のできるタクシー運転手を紹介してもらうことにして、下車。
ちょうど13.30発のサンカブリ行きのロットウがでるという。4時間で185B。
周囲に山が迫って着ると、あとは林の中、森の中を走る。
時折、滝や川の流れるリゾートでは車が集まっているが、それを過ぎると道路も車が少ない。

3.泊まったゲストハウスが4年前の2倍に
5時過ぎに終着駅について、今夜の宿を決める。4年前の宿はバス停の隣であるが、サンカブリにある木造の橋の近くのホテルは1000Bを超えるもの、今日は満員で当日受付がない、など結局、前回と同じゲストハウスになった。エアコン付600B,900B。エアコンなしは400B。
これでも4年前の2倍である。




4.モン族の誇る木造の橋、インド式の寺院
ミャンマーとタイの少数民族_b0156846_23462528.jpg
宿に荷物を置いて、木造の橋を見に出かけた。モーターサイで15B。
さすがに連休か、バンコクや各県からの観光客でにぎわっている。写真を撮ったり、橋の上で音楽をしたり、欄干に座り込んだり。車が通らない、人と自転車しか通さない人間味のある橋である。タイ国で最大の木造の橋として有名である。橋のたもとで、古いトラックを修理する店があった。さすがに40年も超える旧式だとのことで、エンジンが載せ替えてあった。
ミャンマーとタイの少数民族_b0156846_23422388.jpg
その隣に、モン族の料理を供するという店で、カレーそばを食べた。グリーンカレーである。
今回は、同じモン族が自慢をするインド式の寺院までは足を延ばさなかった。
帰りは、歩いて帰ることにした。途中にコーヒーショップがあって、一休み。カフェラテ40B。
一軒の家を使って、部屋はゲストハウスにもなっていた。
夜は、ゲストハウスの近くの市場の一角にある大衆食堂で夕食。3皿のおかずとごはんで100B。カンチャナブリに来る乗り合いタクシーや、夕食時にも聞いたが、国境は外国人が通れない。土着の住民だけが自由に行き来している、という。明日は、どうするか。とにかく行ってみるしかない。

5.カレン族が国境を超える
7/23の朝、8.00発のソンテウ(小型乗合バス)に乗って、国境のスリーパゴダパスに。30B。
同乗者は、カレン族かモン族。話している言葉がタイ語ではない。後でわかったが、田舎に帰るカレン族の家族。ゴム園で働くおじいさんとその孫。早朝から市場で買い物に行った帰りのおばあさん。托鉢に行く僧侶も乗り込んできた。
40分の乗り合いバスである。
終着駅で乗客は、ばらけて散ってゆく。カレン族らしい人の後を追うと、小さな路地から家の裏を回り込んで、水路を渡ると、大きな道に出た。そこにはモーターサイがいて、どこに行くの?とタイ語でお尋ねてくる。大きな道を50mほど歩くと、学校があった。ミャンマーの小学校、中学校である。ちょうど、登校時間で、授業時間になる前の子供たちは、売店でお菓子を買ったり、友達と遊んでいる。

6.国境の町、6000人が暮らす
学校を横目に、人が行き来する道を進むと、三叉路がある。左をみると、どうも国境である。ゲートがあって、そこを通れるのは現地のバイクと人。右折をして、寺院が見えるほうに進む。寺院がある場所がこの町の中心地だろう。一角に、市場らしい建物が見えてきた。
角に、宝石屋があった。売れない宝石屋である。ルビーの原石を見て、価格はいくらかと聞くと「いくらなら買うのか」と聞いてきた。いつからあるのか、と聞くと「10年前にヤンゴンで買ってから店に置いてある」とのこと。価格は結局聞けなかった。
その横にも、はんだごての修理屋があった。宝石に加熱処理をしているのだろうか?
宝石屋をに続き、衣料品、食品とミャンマーの食品を扱う店が続く。
市場を超えて、薬局に立ち寄った。ここなら英語が通じるだろう。住民の人口を聞くと約6000人とのこと。テレびの小売りや、バイクの修理屋が数軒づつある。
古いテレビでも修理すれば、十分使えるのである。
遠くに見える山のはざまに田畑があるのか、歩いて降りてみた。9.30から約1時間もあるいただろうか。坂道を下る両側には掘立小屋がある。木製の箱を解体いして出る板を使った家。
屋根は藁葺かトタン屋根。大通りのは立派な屋敷もあるが、難民生活をする少数民族もいるのである。谷に降りると、ゴム園があった。タイ側にも大きなゴム園が続いていたが、ミャンマー側にもあった。
ミャンマーとタイの少数民族_b0156846_23473929.jpg

7.帰り道は、検問所が6回も
昼前に、町に戻り、食事を済ませて、タイに戻ることにした。食堂では、2皿のおかずとごはんで50B。清潔な店で、店頭でおかずを売り、靴を脱いで上がる板の間で食事をすることができる。
食事を済ませて、また大きな店を見ながら元の道を帰った。
カンチャナブリ行きのバスには乗り遅れたが、13.45発のロッツウには乗車.185B。
カンチャナブリまで、数えると6回も検問所がある。
乗員は慣れているのか,IDカード、パスポートを見せる。小生は、タイの免許で代用する。
少数民族のパスポートを持つものは、兵士、警官にその都度、どこに行って何をしたのか、聞かれている。
これを毎回の帰省ごとに聞かされると、いやな気分になるだろう。日本でも少数民族問題があるが、どこでもIDカードを所持することが義務付けられて、地方に行くごとに提示を求められることはあるのだろうか?
海外の少数民族問題は体験しないと、独立運動に至る背景が見えないのだろう。
(2013.7.24)
by tmothailand | 2013-07-25 09:26 | タイ