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日本訪問(2)成田山(新勝寺と軽便鉄道)

成田山(新勝寺と軽便鉄道)
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成田では、12/4の夜、泊まったホテルから門前通りを通って新勝寺まで行ったが、夜遅いため、大門が閉まり、翌朝、再度訪問することになった。いくつもの宿坊と参詣者向けの旅館があって、1000年を超える歴史を感じさせる街である。JRと京成成田の間にある、飲食街で遅い夕食をとって、翌朝のお参りに備えた。
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12/5は電車道を通って新勝寺まで歩いた。記録を紐解くと、千葉県では最初の鉄道が敷かれたのが成田であった。
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資料を見ると、大阪の資本家才賀藤吉の援助により1910年(明治43年に)一部区間が開通、翌年に宗吾 - 成田間の全線が開業した。開業前に、鉄道工事の工事事務所からの出火で宗吾の廟が延焼したことなど、不人気な路線であった。業績は1910年から当初の5年間は赤字であったが、1937年までの業績は黒字路線であった。ところが、1944年(昭和19年)には参詣路線は戦時柄ふさわしくないことと、京成本線とほぼ並行していることから、廃線。同社は鉄道事業廃止後成田バスを経て現在の千葉交通となった。





開業に手助けをした才賀藤吉であるが、全国で関係した鉄道は100社以上あると言われる。最盛期には衆議院議員にもなり、全国を飛び回っていた。しかし、資金は手形で回すため、いったん不況に陥ると、手形が割れなくなって、倒産。最後は、一社員として晩年を過ごした。
また、全国に開設した鉄道の多くは、上記のように戦時下で敗戦になったり、戦後、鉄道からバスに転換した事例も多い。
by tmothailand | 2015-12-14 20:23 | 日本